秋元康氏はお二ャン子クラブとAKB48のプロデュースに成功しましたが、お二ャン子とAKB48の間に何か
新しいアイドルを作り出そうとはしなかったのでしょうか?
最近、何でもかんでもプロデューサーと呼び風潮がありますが、本来は歌手のデビューやCD制作に資金提供して予算や企画に決定権を持つ人間をプロデューサーと言います。
ハロプロは全てアップフロントエージェンシの資金でやっていて赤字になってもアップフロントが持つのでつんく♂は痛くもかゆくもありません。
例えば小室哲哉プロデュースと言われた安室ナミエですが、予算決定権はライジングプロ(平哲夫)とavexエンターテイメント(松浦勝人)です。
1994年から2000年の小室ファミリーバブル期に小室哲哉事務所「TK state」が制作費に金を出したのは以下の6組です。グローブやケイコの権利も小室の物ではなかった。
華原朋美
鈴木あみ(現鈴木亜美)
DJ DRAGON
Kiss Destination
小室哲哉
宇都宮隆(「discovery」「Detour」「if you wish...」制作時のみ、ノークレジット)
木根尚登(「REMEMBER ME?」「Detour」「エルマーの冒険 MY FATHER'S DRAGON」「永遠のスピード」制作時のみ)
秋元康は自腹で総合プロデューサーをしたのはAKB48が初めてです。
お二ャン子クラブはフジテレビとバーニングプロダクションの企画で秋元康は現場監督のデレクターです。
お二ャン子クラブとAKB48の間に秋元康がデビューに拘わったのは以下の通りです。
今風で言えば中島美嘉、MAX、V6、ジェロなどは秋元康プロデュースでデビューしたと言う言い方にもなります。
ねずみっ子クラブ、野猿、チェキッ娘、中島美嘉、MAX、V6、J-FRIENDS、推定少女、アヤパン(高島彩)、国武万里 、佐伯伽耶 、ジェロ、ともさかりえ、平成おんな組など
結構痛い目に合ってると言うか、失敗してきてるんですよね。
チェキ娘とか推定少女とか。
その経験から色々学び、モー娘の衰退の原因も彼なりに分析し
AKBを立ち上げノウハウを注入し成功へと導いたんではないでしょうか?
0 件のコメント:
コメントを投稿